『きれいなそらに想いを込めて』





「はぁ……」

夏休みの終わりを明日にひかえた午後、俺はリビングでため息をついていた。
その原因は夏休みの課題だ。といっても、学校のではない。
例年なら、今の時期は雄二と一緒に四苦八苦しているところだが、今年は違った。
この春から一緒に住んでいる、ちょっと変だけど勉強に関しては優秀な俺の許嫁、
ルーシー・マリア・ミソラ――るーこのおかげだ。
すっかり仲良くなったタマ姉と手を組まれ、計画的な規則正しい生活を送らされた事もあり
確かに学校の課題は完了した。
問題は、るーこがそれとは別に出してきた課題なのだ。
本当に気が重いよ……はぁ……。

「お疲れですね、貴明さん。はい、どうぞ」

沈み込んでいた俺に、やさしい笑顔でアイスティーをいれてきてくれたのはイルファさん。
今、我が家を訪れている、珊瑚ちゃんのメイドロボだ。

「ああ、どうもすみません。お客さんなのにこんな事させちゃって」
「いいえ、私はメイドロボですから。それに、こちらには貴明さんを監視するように言われて
きただけで、特にする事もなくヒマでしたから」

イルファさんは、俺の魔の手から珊瑚ちゃんを守るようにと、今日も補習で学校に行っている
瑠璃ちゃんから言われたらしい。

「信用ありませんね、俺」
「ふふっ」

苦笑いをしている俺に、楽しそうに微笑みかけるイルファさん。
表情豊かな彼女を見ていると、本当にロボットだって事を忘れてしまいそうになる。
たわいないやり取りで少し心が和んだ俺は、アイスティーをひと口飲んだ。程よい甘さと冷たさが
ノドを潤して気持ちがいい。ようやく、ひと息つけた感じだ。


「ところで、“るー会話”の方の調子はどうですか?」
「…………」

しかし、そんな安らぎもほんの一時。イルファさんが何気なく聞いてきた質問が、重くのしかかる。
そう、るー会話を覚える事、それがるーこから俺に課せられた夏休みの課題だった。
珊瑚ちゃんは、その特別講師として招かれていたという訳だ。
まあ、勉強が終わった今も2階で一緒に何かドタバタやっているように、ただ遊びに来ているって
感じもするけどね。
ともかく、期日である明日までに、せめて基本的なるー会話は出来ないといけないんだけど……。

「ダメ、なんですか?」
「…………」

意気消沈しているこの姿が今の俺の現状。さっきまで受けていた授業でも、2人が何を言ってるのか
サッパリ分からなかった。
っていうか、普通の地球人なら理解出来なくて当然だよな。あ〜、どうしよう……。

「でも、頑張らないといけませんね。レベル3のルーシーさんの為に」
「レベル3って?」
「好き好き好きーって事です。愛する人の為に努力している貴明さん……ラブラブな2人……
ん〜、うらやましいです♪」
「…………」

無邪気な笑顔で恥ずかしい言葉を連発するイルファさんに圧倒され、違う意味で沈黙してしまった。
こーいうところはイルファさんの“心”であるD.I.A.を生み出した珊瑚ちゃんとそっくりだよな。
まさに親子、いや、見た目的には似た者姉妹って感じか。
まあ確かに、渋々ながらも理解しようと努力しているのは、るーこの為だ。
一度やめると言った時の、無言のまま少し涙目でジーッと俺を見つめてきたるーこの表情――
あんな寂しげな顔は二度と見たくないから……。こんな事、恥ずかしくて言えないけど。

照れながらアイスティーを口にしているそんな俺を、しばらくニコニコと眺めていたイルファさん。
しかし、やがて顔つきを少し思い詰めたように変えると、真面目な声で語りかけてきた。

「貴明さん。恋する女の子は、相手の事は当然ですけれども、自分の事も知ってもらいたい
ものですから……。ちゃんと、応えてあげて下さいね」
「え……は、はい。もちろん」

その真剣な眼差しに押され、俺は戸惑ってしまった。それは今までの冗談めいたものとは違い、
想いのこもったものだったから。とても切実な口調だったから。
そう、それはまるで自分の事のように――って、あっ!? もしかしてイルファさん……。

俺の返事を聞き、再びうれしそうなニコニコ顔になっているイルファさんに尋ねた。

「あのさ、イルファさん」
「はい、何でしょうか?」
「ひょっとして、今……恋してます?」
「……!?」

ギシッという擬音が聞こえてきそうな程、硬直するイルファさん。だがすぐにハッと気を取り戻すと
あわてて弁明を始めた。

「そ、そそそそんな事あるはずないじゃないじゃないですかぁっ!」

しかし悲しいかな。動揺しまくりのその姿は、それが真実だと告げていた。

「ふ〜ん。頑張って下さいね、応援しますよ♪」
「あ……う……」

ニンマリとした俺の微笑みに絶句するイルファさん。どうやら彼女が誰かに恋しているというのは
間違いなさそうだ。そうか〜、どんな人なんだろうな〜?
ん? あれ……?
だが、浮かれている俺とは対照的に、イルファさんの顔には次第に陰が落ちていく。


「あの……貴明さん」

イルファさんは姿勢を正すと、さっき以上の真剣な眼差しで俺に話し出した。

「この事は、2人だけの秘密にしていただけませんか?」
「え? 2人だけのって……それじゃひょっとして……」
「はい。珊瑚様、そして……瑠璃様も知りません」
「どうして? 別に隠すような事じゃ……」

その質問に、イルファさんは力なく軽く微笑んだあと、

「私は、ロボットですから……」

愁いを秘めた瞳で答えた。

その意味がすぐには理解出来ず、イルファさんの顔を見つめたままの俺。イルファさんはスッと
視線を下に逃した。

「あ……!」

その痛々しい姿を見てようやく気付く。
俺は、深く考えずにこの話題を振ってしまった事を後悔した。


“心”を持ってしまった為に生まれた感情――“恋”

普段はそんな事を微塵も感じさせない程、人間よりも人間らしいイルファさん。だからこそ、俺は
恋をしているという事に何の違和感も感じなかった。
でも、彼女はロボットだ……。
その想いが本物であっても、いや、本物であればなおさら、その先の結末にあるのは……。
その事は、イルファさん自身も分かっているんだろう。だから、秘密にしようとしている。


「貴明さん……」

イルファさんが沈黙を破る。

「やっぱり、おかしいですよね……? ロボットが、恋をするなんて」

その瞳は答えを求めていながら、でも、どこかでそれを拒絶しているような、悲しい色だった。
俺はその質問に答えず、目を閉じてひと呼吸つく。
そして、逆に聞き返した。

「イルファさん。相手の人は、その気持ちを知ってるんですか?」
「…………」

小さく頭を振るイルファさん。俺は質問を続ける。

「その人は、イルファさんにとって、大切な人なんですよね?」
「……はい。私に光をくれた、誰よりも大切な人です」

その人の事を想っているんだろう……イルファさんの表情が和らいでいく。
俺は、最後の質問をした。

「イルファさんは……これからもずっと、その人の近くにいるつもりなんですよね?」

ゆっくりと、しかし力強く、イルファさんは意志を込めてうなずいた。

「あの方は、私に『そばにいていい』と言って下さいました。だから、ずっと……」
「だったら、大丈夫ですよ」

その笑顔を受けて、俺は答えた。今までのイルファさんの問いかけ全てに対して。


「大切な人のそばにいられるのなら……幸せになれるはずです、きっと」


それは、自分自身に対しての言葉でもあった。そうあって欲しいという想いも込めた。
少し形は違うけれども、俺とるーこ、2人の関係にも通じるものがあったから。
45光年離れていた異星人との恋。1度はあきらめたはずの、望んでいた2人での生活。
そして、今築いている新しい未来――
想いがある限り、きっと大丈夫だと思うから。


「……ありがとうございます、貴明さん」
「うん、頑張って」

本当に幸せになって欲しい。願わくば、その想いが大切な人に届くという形で。
いつもの明るい笑顔を取り戻してきたイルファさんを見て、心からそう思った。
少し照れもあったけど、俺はやさしく微笑みかける。
イルファさんは、うれしそうに熱っぽい視線で見つめ返してきた。

「ちょっと、ルーシーさんがうらやましいです。貴明さんのような素敵な方に想われてるんですから」
「やだなぁ、からかわないで下さいよ」

いつものイルファさん節が出てきた。もう大丈夫そうだな。

「あら、私はからかってなんかいませんよ。お礼にちゅーしたい位なんですから♪」

ウインクしながら、イタズラっぽくペロッと舌を出すイルファさん。
……苦笑。あんまりいつもの姿に戻りすぎるのも考えものだな。

「いや、そういう事を言ってると、大切なその人に嫌われますよ」
「でも〜、あの方も貴明さんの事が好きみたいですし……。あの方に貴明さんと結婚していただいて、
お2人の専属メイドロボになるというのが、私の理想なんですよ?」
「は? それってどういう――」

バンッ!!
微妙な空気が漂い始めていたリビング。その流れを断ち切るかのように、扉が勢いよく開いた。

「るー」
「るー☆」

るー会話の先生達の登場だ。2人はジッと俺の方を見つめている。
のしかかってくる無言のプレッシャー。どうやら「るー」で返せという事らしい。
仕方ない。それじゃ“2人とも何してたの?”って意味を込めて――

「る、るぅー」
「「 ………… 」」

うわ〜〜、すっごい哀れんだ目で見られてるんだけど。

「貴明、また『るー』言うてるだけや。ダメダメやな〜」
「いや、そう言われても……」
「言葉に“想い”をのせる事、そしてそれを相手に伝えようとする“心”。大切な事は
2つだけだ。まだ理解出来ないのか? 相変わらずのぺっぺけぺーだな、うー」
「…………」

イルファさんの方はさんざん励ましておいてなんですが、こっちはすでにくじけそうです。
でも……頑張れ、俺!!


「ところで珊瑚様、その箱は?」

箱? ああ、確かに持ってるな。
イルファさんの声に改めて珊瑚ちゃんを見ると、古ぼけた汚い箱がその手にあった。

「貴明の秘蔵品や〜☆」
「うーの秘密の部屋にあったぞ」
「秘蔵品? 秘密の部屋?」

?マークが浮かんでいる俺の所に駆け寄ると、珊瑚ちゃんはテーブルの上にその箱を置いた。

「あっ、これって……」

箱の中にあったのは、おもちゃや絵本、その他諸々……。屋根裏にしまってあった、俺の小さい頃の
物だ。上で何かドタバタやっていると思ったら、これを探っていたのか。
それにしても、色々と持ってきてるなぁ。3人とも楽しそうに箱の中を物色している。

「やっぱり、貴明マニアックや〜」
「ホントですね。こういったプレイがお好きなんでちゅか?」
「イルファさーん、語尾がおかしいです。その手に持っている哺乳ビンにどういった意味があるのか、
俺にはサッパリ分かりません」
「甘えんぼさんか、うー? 望むのなら、るーは応えてあげてもいいぞ」
「はい、そこも! 誰も望んでないから! いちいち話をふくらまさない!!」

女3人寄れば何とやら。あっという間にいつもの騒々しい雰囲気に。
そんな中、イルファさんが下の方にあった、本らしき物を取り出して俺に聞いてきた。

「貴明さん、これはどういった物なんですか?」
「うわ〜、懐かしいなぁ」

それは表紙に“夏休みの友”と書かれた、一冊の黄ばんだ本だった。

「これって、イルファさんのデータベースにはないんですか?」
「はい、ありません」
「ウチも知らんよ」
「へえ、そうなんだ。もっと全国的な物かと思ってたんだけど、そうでもないんだな。まあ要するに、
小学生用の夏休みの課題帳だよ。国語・算数・理科・社会、それに自由課題がバランス良く加わって、
1日毎の宿題みたいな形で出てるんだ」

そういえば、俺が6年生の時にはもう無くなっていたような気もするし、今はメジャーって訳でも
ないのかもな。でも、ホント懐かしいよ。

「イルファさん、それ、ちょっと見せてもらえますか?」
「あ、はい、どうぞ」

何となくノスタルジックな気分に駆られ、夏休みの友を受け取ろうとした時――

「ん?」

コトン……
本の間に挟まっていたそれが、机の上に落ちた。

「うー、それは?」

いち早く反応したのはるーこだった。
おそらく、それに書かれている表題と、下半分のだ円に見えている、点と線で描かれた様々な模様に
引かれたのだろう。

「これまた懐かしいな〜。星座早見表だよ」

そう、それは星座早見表だった。おそらく、夏休みの友の自由課題で使った物だ。

「星座早見表?」
「うん。こうやってな、日付と時刻を合わせると、その時にどういった星座が夜空に見えるのか
分かるんだよ。言わば、地球から見た星の地図かな」

るーこに見えるように、カバーの中の星座円盤をクルクルと回してみせる。

「例えば今日の夜だと……こんな感じだ」

差し出した星座早見表をしばらくジーッと眺めていたるーこ。
ふと視線を俺の方に戻すと、

「よし。今夜は星を見に行くぞ、うー」

突然の提案をしてきた。

「ええっ、今夜か? 確かに天気はいいみたいだから星は良く見えると思うけど……。
えらい急だな、どうしたんだ?」
「うーはその星座早見表とやらがなければ、星の見分けがつかないのだろう?」
「有名なのは分かるけど……。まあ、そうかな」
「これからの宇宙大航海時代、それでは生き残れないぞ。るーが指導してやろう」

るーこのやる気満々の瞳が俺を捕らえている。

「う〜ん……」

特に用事もなかったし、別に行きたくない訳ではなかったが、少し返事をためらってしまった。
ちょっと気にかかる事があったからだ。
しかし、こんな楽しそうなイベントを見逃してくれるはずもなく……

「ウチも行く〜☆」

珊瑚ちゃんの元気一杯の賛同の声が、リビングに響く。

「という事は、瑠璃様も一緒ですね。でしたら、私も」
「よし、うータマやうーこのも呼ぶぞ。すぐに連絡しろ、うー」
「あれ? 俺の意思はすでにスルーですか?」

どうやら、みんなでの天体観測が決定してしまったらしい。このメンバー相手に、もう何を言っても
ムダだな。諦めよう。
俺は深いため息をつき、残っていたアイスティーを一気に飲み干した。
そして、ワイワイと騒いでいる3人組を横目にしつつ、手に持っている星座早見表をもう一度見直す。
確かめたい事があったからだ。
えっと、時刻は21時位として――

「……あった。北西の地平線あたりか……」

自分自身に確認するようにつぶやいたあと、改めてるーこを見る。元々何を考えているのか
表情からは読みにくい奴だけど、特に変わった様子はない。
星を見に行こうと言い出した、本当の理由はこれかなと思ったんだけど……考えすぎか?

「何をボーッとしている、うー。早く連絡しろ」
「はいはい、分かったよ」

るーこに急かされ俺は重い腰を上げる。そしてテクテクと歩いていき、受話器を取った。
ま、どのみち行く事は決まったんだし、今は色々考えてもしょうがない。
でも、みんなでの天体観測か……。メンバーはちょっと違うけど、あの時以来だな。
タマ姉の家への呼び出し音を聞きながら、俺はそんな事を思い出していた。



そんなこんなで、その夜はみんなでの天体観測会が行われた。いや、あれは天体観測とは言えないか。
とにかく初めからハプニング続きだった。どこから情報を聞きつけたのか、花梨が来ていたのだ。
その時点ですでに、静かに夜空の星達を愛でるという風流な流れは期待出来なかったんだが……。
それに加え、このみ、珊瑚ちゃん、雄二までもが花火を用意していたのだ。そんな訳で天体観測会は
納涼花火大会に姿を変えてしまった。
まあ、こんなのはいつもの事だったし、それはそれで良かった。
俺自身楽しかったし、夏休み最後のいい思い出になったから。

ただ一つ、時折何かを探すように夜空を見つめていた、るーこの姿を除けば――















「ん……」

ふと、目が覚めた。眠気は残っているけれども、まぶただけが開いた、そんな感じだ。
目に入ってくる、薄暗い俺の部屋の天井。まだ朝にはなってないらしい。
疲れてたはずなのに、変な時間に目を覚ましちゃったみたいだな……って、あれ?

「るーこ……?」

何となく感じていた空白感、その理由に気付いた。隣で寝ていたはずのるーこがいない。
どうしたんだろう、トイレかな?
目覚まし時計を見ると、時刻は午前4時。
おや? これは……?
良く見ると、その下に紙が挟まれていた。俺は紙を手に取り、暗がりの中目を凝らす。
『朝には戻る。心配するな』
それには、るーこの文字でそう書かれてあった。

…………。

俺は部屋の電気をつけ、机の上に置いてあった星座早見表を手に取る。そしてもう一度、
昨夜のその星座の位置を確認した。
やっぱり、るーこは……。

俺は星座早見表の時刻を今に合わせ、改めてその星座の現在の位置を確かめた。
今は、北東の地平線か……。
手早くジーンズとTシャツに着替えると、俺は家を出た。



シーンと静まり返った空気、ヒンヤリとした頬をなでる夜風。どこからともなく聞こえてくる
虫の声が、妙に耳に響いてくる。
いつも通っている通学路が、別の道みたいだ。
昨日は賑やかすぎて、こんな情緒を感じる余裕はなかったからなぁ。

そんな事を考えながら歩を進め、俺は河川敷の土手に着いた。昨夜、みんなで天体観測をした場所。
辺りを見回すが、るーこの姿はない。

「ここじゃないか……」

そうつぶやいて、俺は夜空を見上げた。昨夜と変わらない、満天の星空。
だけど……街の明かりが落ちている今でも、建物等の関係で地平線間近の星は見えにくかった。
昨日のるーこの姿が思い出される。
何も言わなかったけど、やっぱり……。

俺はもう一つの心当たりへと向かった。















通い慣れた長い坂道を上がり切って、そこに辿り着く。
ここは俺の高校。花梨、そしてタマ姉、このみ、雄二がるーこを助ける為に集まってくれた、
思い出の場所だ。
あの時と同じように、俺はグラウンドの方に回る。何となく、懐かしい光景。家を出る時から
ここにるーこが来ているような気がしていた。
しかし、辺りを見渡すがるーこの姿はない。

ここでもないのか……? あと星が良く見える場所といえば裏山か……。まさか、一緒に月を
見たあの木の上とかじゃ――あっ……!

ふと視線を上げた俺の目に、その細身のシルエットが映った。フェンス際に立っているその姿は
確かにるーこだった。
俺は校舎に向かい歩き出した。



中に入ると、そこは無音の空間。空気が固形化しているように感じる。聞こえてくるのは、
るーこのもとへと進んでいる自分の足音だけ。
その静寂さの為か、俺は色んな事を考え出していた。
そしてそれは、屋上への階段を昇るにつれ、一つの感情へとつながっていく。

不安。

そう、うまく言えないけど……不安だった。
暗闇の中の学校という、特殊な閉塞感も手伝ったのかもしれない。
でも、それとは別の何か……この上で俺を待っているであろう何かを感じていたから。



階段を昇り切り、屋上の扉の前に来た。
俺は大きく深呼吸を1回したあと、ゆっくりと扉を開ける。
そして、固まっていた空気が流れ始めたのを肌に感じながら、屋上への一歩を踏み出した。

眼前の星空が近い。虫の声も届いてこない、静かな世界。
東の隅の方にあるベンチ、そこにるーこは座っていた。
月明かりが、るーこの透明性を高めている。まるで、今にも消えていきそうな、はかなげな姿。
るーこは、一心に夜空を見つめていた。俺も、同じようにそこへと目を向ける。

ああ……見える。
街の明かりが落ちている今、屋上というこの場所だからこそ見る事が出来たのだろう。
北東の空の地平線との際に、その星座――大熊座が見えていた。
るーこの故郷、47番星第3惑星“るー”のある、大熊座が。


「……るーこ」

ためらいながら、俺は扉の前から声をかけた。こっちを振り向くるーこ。
暗がりで遠目の為、その表情は良く見えない。

「来たのか、うー。良くここだと分かったな」

その声はいつもと同じ、俺の知っている普段のるーこの声。
少しホッとしながら、俺はるーこの方に歩き出した。

「何で起こしてくれなかったんだ? 元々、俺に星の事を教えるのが目的だったんだろ?」
「……うーは、気持ち良さそうに寝ていたからな」

再び、夜空へと顔を向けるるーこ。もちろん、その視線の先にあるのは大熊座だ。

「今は、何を見てるんだ?」
「…………」

答えず、無言のままるーこは夜空を見つめている。

「……なあ、るーこ――!?」

るーこの座っているベンチまで、あと数歩という距離。意を決して、その事を聞こうとした
俺の言葉が止まる。
それは、気付いてしまったから。
今もなお、星を見つめ続けているるーこの横顔。その頬に、もう消えかけてうっすらとだったけど、
ひとすじの涙の跡があったのを……。

「…………」
「どうかしたのか、うー?」

立ちすくんでいる俺に、るーこが不思議そうな顔で聞いてくる。
色んな考えが頭の中を巡る。尋ねたい事はいくつもあった。でも……うまく言葉に出来ない。

「おかしなうーだな。本当にどうしたのだ?」

るーこの表情に悲しみの色はない。そして、俺はるーこがそういった感情を隠すのがヘタだって事も
知っている。
だとしたら、その涙は……。


「るーこ」

俺はもう一度覚悟を決め、

「……ホームシック、か?」

さっき止めてしまった質問をした。


「……何故、そう思う?」
「お前……何かさみしそうだったから」

少し驚いた表情を見せるるーこ。

やっぱりそうだ。るーこ自身も気付いていない。
その涙は……きっと、無意識のものなんだ。もしかしたら……俺の知らない所で、いや本人さえも
気付かないうちに、今までも流していたかもしれない涙。

胸が、グッと締め付けられる。
俺はるーこから視線を逃すように、大熊座の方に目を向けた。


「……さみしくなんかないぞ」

俺の視線を追って一度夜空を見たあと、るーこはこっちに向き直り、話し出した。


「るーは、自分の意志でうーのもとに来たのだ。さみしくなんかない」

……落ち着いたその声が、さらに俺の胸を締め付ける。


「それに、るーが見ていたのはあの星だ。カリフォルニアではないぞ」


――――っ!


「うー?」

……不覚だった。
抑え切れず、こぼれてしまったひと粒の涙。


「……ゴ、ゴメン、ちょっと目にゴミが……」

あわてて目をこすりつつ、手で顔を覆う。

でも……ダメだ。涙が止まらない。何をやってるんだろう、俺は。
本当に涙を流しているのはるーこなのに。その心の奥底に眠っている、封じられた記憶の中で。
今、俺が支えてあげなければいけないはずなのに……。

だけど、沸き起こってくる一つの考えがそのジャマをする。


“るーこは、俺と出会って幸せなんだろうか?”


とっくに、自分の中では信じて解決していたと思っていた。でも、今になって思い知らされている。
そんなに簡単に答えが出せるような事じゃなかったんだと。

改めて目の前に突きつけられた、俺だけが知っている事実……。
おそらく、もう二度と、両親や仲間達とるーこが出会う事はないという事実……。

俺が受け止めなければいけないモノは、とてつもなく重い――


「うー」
「えっ……」

不意に、頭の後ろに回された手の感覚。それと同時に、俺の顔はやさしい温もりに包まれた。
いつの間にかそばに来ていたるーこが、その胸の中に俺を引き寄せたのだ。


「本当にさみしかったのは、うーの方か?」
「…………」
「大丈夫、さみしくなんかないぞ?」
「…………」
「さみしくなんか、ない」
「…………」

その言葉は、俺に言っているのか、それとも……。

だけど、そんな中でも、るーこは俺を包んでくれている。安らぎを与えようとしてくれている。
悩んで、迷ってばかりの、頼りないこの俺に……。

るーこが、ひときわ力を込めて、俺の頭を抱き締めてきた。

「るーは、うーのそばにいるぞ。ずっと一緒だ。だから、大丈夫」


俺はハッとなった。

『大丈夫。そばにいれば』

それは、他でもない俺が昨日言った言葉だったから。そして、こうも続けたはずだった。

『幸せになれるはず、きっと』


――――そうだった。
悩んでも、迷っても、俺が出さなければいけない結論は一つしかないんだ。
この地球でただ1人、るーこの真実を知っている者として。
“ルーシー・マリア・ミソラ”は、俺の為に戻ってきてくれたんだから。俺の事を信じて。
俺も信じなくちゃいけないんだ。もっと、強く。

俺は、ゆっくりと胸の中から頭を上げ、るーこの顔を見た。
迎えてくれたのは、とてもやわらかい微笑み。まるで、俺達を照らしている月の光のような。
だけど……どことなく……切なさを秘めた微笑み。
それは“るーこ・きれいなそら”としての、本当の気持ちのせいなんだろう。

今、俺がしなければいけない事は……してあげられる事は……出来る事は……。
そうだ、今なら、きっと……!

まだ、俺はるーこの事を受け止めるにも、支えるにも力不足だ。でも、そんな俺でも出来る事がある。
それは、るーこを元気付けてあげる事、喜ばせてあげる事、安らぎを与えてあげる事。
さっきまでの俺に、るーこがそうしてくれたように。

「るーこ」

だから、俺は伝えた。

「るー……」

一言では言い表せない一杯のこの愛しさを、るーこが望んでいたこの『一言』に込めて。
“想い”と“心”を込めて――


「……合格だ。うー」

うれしそうに、るーこがはにかむ。

「るーも、うーが好きだぞ。一番好きだ」

ぽすっと、俺の胸に頭を預けてくる。

「……うーがそばにいてくれれば、それでいい……」

俺は、ただやさしく、るーこを抱き締めた。
俺の胸の中、その表情は見えない。色んな想いが、また胸を締め付ける。だけど、それでも……
精一杯のやさしさで、俺はるーこを包み込んだ――








俺達は肩を並べてベンチに座り、星を眺めていた。会話もなく、ただひたすら無心に眺めていた。
どうしてそうしたのか、良く覚えていない。気が付いたらそうしていた。
自然と、何も疑問に思わず。

でも、不思議だった……温かかったんだ。
隣にいるるーこの存在もあったんだろうけど、それだけじゃなかった。
なんだか懐かしい、とてもやわらかな、心地良い温かさだった。
心が、どんどんと落ち着いていった。
いつの間にか、俺の中のさみしさや切なさ、不安といった感情が和らいでいった。

そう、原始の記憶にある“何か大きなモノ”に包まれているような、不思議な感覚だった。


そして、俺は気付いたんだ、その事に。
いや、ひょっとしたら、彼らが気付かせてくれたのかもしれない。俺の心に、よりいっそうの
力を与えてくれる為に。
もちろん、それは俺の推測でしかない。でも、きっとそうだと、信じる事が出来た。
『るーは決して仲間を見捨てる事はない』――るーこの言葉を思い出したから。


俺はその星を見つめ直し、心の中で感謝の言葉を告げた。








夏の終わりとはいえ、朝は早い。空が徐々に白んできた。

「さて、と」

勢いをつけて俺は立ち上がり、笑顔でるーこに言った。

「そろそろ、帰ろうか?」
「……そうだな」

コクンとうなずくるーこ。
だが、やはりまだ名残惜しいのか、その表情にはためらいが感じられる。

「と、その前に」

俺は大熊座の方角、北東の方を向き、2、3歩前に出た。
俺の決心を固める為に、力を与えてくれた彼ら……特にるーこの両親に宣言する為に。
そして何より……るーこの為に!
大きく、両手を空に上げる。そして、叫んだ。

「るーっ!!」

今はもうほとんど見えないけれど、その星のあるきれいな空に向かって……想いを込めて。


後ろを振り返ると、目を丸くしているるーこがいた。その頬が、徐々に赤く染まっていく。

「……今日は大胆だな、うー」

めったに見られない、照れて困っている表情。でも、そこからは喜びがあふれている。


「……海の向こうの、るーパパとるーママにも、きっと届いたぞ」

その言葉は、また俺の心を締め付けた。でも、今はそれに耐えられる。
誓ったばかりの約束があるから。
はるか空の向こうと、るーこに誓った約束が。
もし、またくじけそうになっても、その時はるーこが支えてくれる。2人でなら、きっと
乗り越えられると信じられるから。

だから、俺は大きくうなずいたあと、もう1度笑顔を作って言った。

「さあ、帰ろう。“俺達の”家に」

差し出した手を、力強くるーこが握り締める。気持ちもつながったと感じた瞬間。
その表情に、もうかげりはなかった。そう、俺達の上に広がる、この空のように。

夜明け前の、黒から青に変わっていく透明な空――今日も雲ひとつない、どこまでも澄んだ
そのきれいな空が、俺達をやさしく見守っている気がした。




                   〜fin〜



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――― 後書きというか、ちょっと補足を ―――

8月半ばに原案が出来ていながら、公私ともに鬼のように忙しくなってしまい、完成が
ここまで遅れてしまいました……orz
ただ自分としては、夏の作品というよりは、自分なりのるーこシナリオの解釈として、
この作品を仕上げたつもりです。
言わば、『るーこアフター』のつもりで書き上げました。
そういった訳で、発表時期がずれてしまった点は見逃していただけると幸いです。

さて閑話休題、ちょっと補足を。
TH1・TH2から続く流れでほぼ間違いないとは思うのですが、このSSは貴明の住んでいる所が
関東圏である事を前提に書きました。(自分のイメージは千○かな〜って感じです)
要するに、大熊座が見える時期とその場所の件ですね。
その点、どうぞご了承下さい。こちらが本題でした。

こんな後書きっぽい物まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
ご意見・感想等、掲示板の方にいただけると嬉しいです。 by HIRO


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